【I&S インサイト】大企業との提携と独禁法 〜「スタートアップ連携指針」に学ぶ〜

執筆者:小原 光平

はじめに

本稿の目的

スタートアップが大企業と組んで新事業に挑戦する、いわゆる「オープンイノベーション」は、スタートアップにとって、ビジネスの飛躍につながる大きなチャンスです。しかし同時に、「契約で大企業に不利な条件を押し付けられてしまうのではないか?」という不安もつきまといます。例えば、秘密保持契約[1]NDA)も結ばずに自社の技術情報を要求されたり、PoC[2]Proof of Concept、実証実験)で何度も無償のやり直し対応を求められたりといった問題が散見されるところです。実際、公正取引委員会(以下、「公取委」といいます。)の調査でも、スタートアップ側が「大企業から一方的で不利な契約条件を求められた」という事例が多数報告されています。こうした不公正な取引は、独占禁止法(独禁法)の観点でも問題になり得るものです。

本稿では、スタートアップ創業者の皆さんに向けて、2021年に公取委と経済産業省(以下、「経産省」といいます。)が策定(2022年に改訂)した、スタートアップと大企業等との提携や出資における典型的な問題事例と改善の方向性を示したガイドラインである「スタートアップとの事業連携及びスタートアップへの出資に関する指針」(以下、「スタートアップ連携指針」といいます。)について解説します。

また、それとともに、事例を交えて、スタートアップの目線から、連携事業者との間で公正な提携を進めるためのポイントについても触れていきます。

指針策定の経緯とオープンイノベーション推進

スタートアップと大企業の連携が注目される一方で、「共同研究をすると特許を大企業に独占されてしまう」、「PoCばかりさせられて振り回される」といった問題が表面化することとなりました。公取委が2019~2020年にかけて、全国1500社弱のスタートアップへアンケートやヒアリングを行い、その実態を調査(「スタートアップをめぐる取引に関する調査結果について」。以下、「調査報告書」といいます。)したところ、秘密情報の不適切な取り扱いや、対価の伴わない作業の強要など、多くの問題が明らかになりました。

調査結果において、具体的には、以下のようなケースが報告されています。

 

NDAを締結しないまま営業秘密の開示を求められた

・スタートアップの顧客情報の提供を求められた

PoC後に成果物の追加修正を無償で繰り返し要求された

・共同研究の成果に係る知的財産権を一方的に大企業側に帰属させる契約を押し付けられた

・片務的(一方だけ義務が重い)なNDAや、期間が極端に短く自動更新のないNDAを締結させられた

・スタートアップに対する出資契約で、創業者個人に株式買取義務を負わせる条項が盛り込まれた

 

こうした実態を受け、2021年3月、公取委と経産省の連名で策定されたのが「スタートアップ連携指針」です。さらに2022年3月には、CVC[3](コーポレートベンチャーキャピタル)などによる出資に関する指針も内容に加えられ、内容が拡充されています。

この指針の目的は、スタートアップと大企業等(指針中では「連携事業者」や「出資者」と呼ばれます)の双方にとって望ましい契約のあり方を示し、事業価値の総和を最大化する公正な連携を促進することにあります。指針では典型的な契約類型ごとに問題事例と独占禁止法上の考え方が整理されており、スタートアップ側の法務リテラシー向上や、大企業側の意識改革にもつながる内容となっています。

 

指針の概要 〜5つの契約類型と主な問題〜

5つの契約類型

スタートアップ連携指針では、スタートアップと大企業等との間で締結される契約のうち、以下の主要な5つの類型について言及されています。

NDA(秘密保持契約):

情報交換に際して互いの秘密情報の取り扱いを定める契約

PoC契約:

本格的な共同研究に進む前に試作・検証を行う契約

③共同研究契約:

両者が資源を出し合い共同で研究開発を行う契約

④ライセンス契約:

一方が保有する知的財産や技術情報を他方が利用するための契約

⑤出資契約:

大企業やVC等がスタートアップに資金出資する際の株式取得条件などを定める契約

 

主な問題点

指針では、契約類型ごとに、「想定される契約内容の概要」、「実際に起こり得る問題事例」、「独占禁止法上の考え方(どんな場合に優越的地位の濫用等に該当し得るか)」、「問題の背景と解決の方向性」がそれぞれ示されています。

特に着目すべき主なポイントは以下の通りです。

 

NDA

片務的な契約やNDA未締結での情報開示など、スタートアップだけに過度な負担やリスクが及ぶケースがあります。お互いに秘密情報を保護し合う対等なNDAの重要性が強調されています。

PoC契約:

PoC貧乏」とまま言われるように、無償の実証実験を繰り返し要求されたり、PoC後の共同研究に進めず労力倒れになるケースがあります。適切な対価設定やゴールの明確化など、PoC段階での合意事項が重要です。

③共同研究契約:

知的財産権の帰属・利用条件が最大の肝です。双方の貢献度に見合わず成果特許を大企業側のみが独占する契約や、実質的にスタートアップが下請けのようになってしまう「名ばかりの」共同研究が問題視されています。IP(知的財産権)に関する取り決めは事業展開の自由度を左右するため、特に慎重な検討が必要です。

④ライセンス契約:

スタートアップの特許や技術を利用させる契約ですが、無償ライセンスの要求は典型的な不公正事例です。また、ライセンス範囲を広げすぎる条項や、スタートアップの特許出願を不当に制限するような条項(特許出願の禁止など)に注意が必要です。

⑤出資契約:

出資を受ける際の条件や、投資後の関係を定める契約です。指針が追加された2022年改訂版では、出資者による優越的地位の濫用に特に警鐘が鳴らされています。具体的には、NDA未締結の状態での情報開示要求、契約外の無償業務の強要、出資者側のコストをスタートアップに負担させる要求、不要なサービスの購入強制、そして株式の買取請求権(投資契約違反時に出資者が株式を買い取らせる権利)の濫用などが挙げられています。買取請求権については、特に「創業者個人に対する請求」がスタートアップの起業意欲を損なうおそれがあるとして、競争政策上望ましくないとの指摘がなされています。

 

以上のように指針では、スタートアップに不当に不利益を与え得る契約条項が幅広く取り上げられています。

また、Amazonによる確約手続(令和2年9月10日公表)の公表資料で、Amazonがスタートアップを含む納入業者に対し、在庫補償契約を締結することにより納入業者に支払うべき代金の額から減じたり、負担額の算出根拠等を明らかにせず金銭を提供させたり、マーケティングプログラム契約に基づき支払を受けた金銭の全部又は一部についてサービスの提供を行うことなく金銭を提供させたり、Amazonが過剰な在庫であると自社が判断した商品について理由なく納入業者に対して返品したりしていたことが明らかにされたように、大企業とスタートアップを含む中小企業の間のトラブルやその中身は、近年特に注目を集めています。

特に知的財産権については、「製造業者のノウハウ・知的財産権を対象とした優越的地位の濫用行為等に関する実態調査報告書」においても、製造業大手と中小技術者の間の知財に関する取引では、スタートアップを含む中小企業が取引先に対し劣位になりやすい点が指摘されており、現在(2025年9月時点)も大企業による知財にかかるデータの利用方法にまで調査対象を広げた追加調査が実施されています。さらに、2025年8月には公取委・中小企業庁・特許庁が共催で「知的財産取引適正化ワーキンググループ」を設置するなど、取引適正化に向けた取り組みが進められています。

これらの事例の他にも、取引交渉や業務受託の過程で、スタートアップの社長に対して仕事の紹介をちらつかせて性的行為を要求する等の悪質なハラスメントも問題視されるようになっています。

では、こうしたトラブル事例にスタートアップ側はどう対処し、事前に防げば良いのでしょうか。

次章では、契約類型ごとに、代表的なトラブル事例とその対処のヒントについて触れていきます。

 

事例検討 〜典型的なトラブルとその対処法〜

以下に紹介する事例は、そのいずれもが大企業がその資金力や市場における地位等を不当に用い、スタートアップに一方的なリスクや負担を強いるものとして、スタートアップ連携指針上も、優越的地位の濫用(独禁法2条9項5号)や拘束条件付取引(独禁法2条9項4号)、競争者に対する取引妨害(独禁法2条9項6号、一般指定14項)として違法となりうるとされた事例です。

一般的に、スタートアップは法務・知財リテラシーに乏しく、多くの経営資源を技術開発や資金調達に優先配分するため契約交渉経験が不足しがちです。加えて資金力が乏しく投資が先行している状況では、大企業との交渉で取引先に対して劣位に陥りやすいのも実情です。これらの実態から、スタートアップは交渉時に、契約に潜在するリスクを見落としやすい傾向にあるため、リスクとそれに対する対処の勘所への理解を深めることが必要不可欠です。

そこで以下では、それぞれの事例のどこにリスクが潜み、何に注意して交渉を進めていくべきなのかを、各事例に即した形で述べていきます。

NDA関連のトラブル例と対処法

Case1.〜NDAを結ばないまま情報提供を求められた!〜

事例:スタートアップであるA社は連携先の大企業に対しNDA締結を申し入れましたが、「契約は後でいいから、まず情報を開示してほしい」と相手の法務に言われ、NDAなしでソースコード等を提供させられてしまいました。その後取引は中断し、なんと大企業側がA社のソースコードを使った類似サービスを発表してしまいました。

問題点

NDA未締結のまま重要情報を渡してしまうと、営業秘密の漏洩や模倣のリスクが格段に高まります。一方で大企業側としても、どこまでが秘密情報か曖昧なままだと意図せず使ってしまい訴訟リスクを負う可能性があります。

つまり、NDAを結ばないまま情報共有を進めるのは、スタートアップ、提携先大企業の双方にとって危険な行為であるといえます。

対処のヒント

交渉段階でも必ずNDAを締結し、秘密情報の範囲・目的を明確にしておきましょう。「後で契約するから」と言われても、契約前に重要情報は開示しない勇気が必要です。

また、交渉に先立ち、自社の技術情報をあらかじめ整理し「何がコアで守るべき情報か」を特定しておくことも大切です。

NDAは双方が秘密保持義務を負う対等な内容にし、重要情報は契約終了後も一定期間守られるようにする等、契約期間や存続条項にも注意を払いましょう。

もし大企業側が自社ひな型の片務的NDAを提示してきても、そのまま飲まずに修正交渉を試みましょう。

例えば「双方が守秘義務を負う条項にしてください」と求めるだけでも、公正な関係作りの一歩になります。

スタートアップ側の法務リテラシー向上も不可欠です。社内の知財・法務担当や、いない場合には外部専門家の助言を早期に仰ぎ、「何をどこまで開示するか」を慎重に判断しましょう。

Case2.〜自社だけ重い義務がかかるNDA案を提示された!〜

事例:スタートアップであるB社は大企業との共同事業で、互いに重要情報を交換する必要がありました。ところが提示されたNDAでは、連携事業者(大企業)は一切営業秘密を開示せず、B社だけが秘密情報を提供する内容になってしまっていました。別のC社が連携事業者と締結したNDAでは、C社が連携事業者側の秘密情報を漏らさない義務はあるのに、相手がC社の情報を守る義務は定められていませんでした。

問題点

片務的で不平等なNDAでは、スタートアップ側だけが情報を差し出しこれに伴うリスクを負うことになります。B社・C社のようにいわば自社だけが丸裸になってしまった状態では、秘密情報を漏洩・悪用等されたとしても防御策がありません。それどころか、この先例をリスクとして重く捉えた投資家から、将来にわたって敬遠されることすら懸念されます。

一方で、大企業側もスタートアップにそのような契約を押し付けることが常態化していれば、その噂が広まり、スタートアップの側から敬遠され、将来の連携チャンスを失いかねません。

対処のヒント

上に述べたとおり、NDAは本来双方の利益を守るものです。したがって、必ず双務型(mutual)のNDAとするように交渉することが肝要です。自社提供の情報だけでなく、相手から開示される情報(技術資料や試作品等)も通常はあるはずなので、「お互い秘密保持しましょう」という形の交渉に持ち込むのが建設的です。

また、契約期間の設定にも注意しましょう。期間が異常に短いNDAにも危険が潜んでいます。

例えば「契約期間6か月のみ、残存義務なし」というNDAでは、期間終了と同時に守秘義務が消えてしまいます。重要情報を共有するという観点からは、少なくとも数年単位の存続条項を入れるべきです。モデル契約書や専門家の意見も参考に、期間・範囲を適切に定めましょう。

PoC関連のトラブル例と対処法

Case3.〜無償の追加作業地獄〜

事例:スタートアップであるD社は、大企業から「試験的にAIシステムを共同開発しましょう」と持ちかけられてPoC契約を結びました。ところが技術検証中、当初見積もりにない追加作業をどんどん要求されます。D社は連携事業者(大企業)から「PoC後には必ず本契約するから」と口約束されたため渋々対応しましたが、結局追加作業の報酬は払われず、本契約もしてもらえませんでした。また、別のスタートアップE社は、PoC契約を結んだ大企業から「PoC結果を確認するため正式システムで動作検証が必要」と言われ、当初結んだPoC契約の範囲を超えた製品開発まで無償でやらされてしまいました。

問題点

PoCはあくまで検証のための試験段階ですが、それを口実にスタートアップにタダ働きをさせるケースがあります。報酬が支払われなかったり、PoC後に「やっぱりもう一度やって」と繰り返し無償でリトライさせられたりする例が報告されています。このような事態が常態化すれば、リソースに限界のあるスタートアップのでは、最悪の場合には人的リソースが疲弊し資金もショートしてしまうことになります(いわゆる「PoC貧乏」)。

一方の大企業側も、多くのスタートアップとPoCをやり散らかして成果が出なければ、自社のイノベーション機会を逃すことにつながります。

つまり、大企業側のPoCの濫用は両者にとって損失なのです。

対処のヒント

PoC段階であっても、契約内容を曖昧にしないことが肝心です。スピードを重視しつつも、契約内容は注視し、自社に過度な負担がかからないようにすることを意識しましょう。具体的には、()PoCの目的・ゴールを明確化し(何をもって検証完了とするか)、()対価の有無・金額を取り決め、()PoC終了後の進展条件(共同研究に進むか否か決定する期限や努力義務)を契約書に盛り込むことが考えられます。

スタートアップ連携指針においても、「PoC契約の交渉を通じてゴール・対価・移行条件の共通認識を持つことが重要」とされています。仮に契約時に成果物の価値が不透明で報酬額を決めづらい場合でも、最低限の保証額やマイルストーン払いを定めておく等しておくと、スタートアップ側の安心にもつながります。また、PoCは成功すれば次の共同研究につながるというステップの一部なので、期間をズルズル延ばさないことも重要です。長引くほどスタートアップ側としては負担が増すことになりますから、「〜ヶ月以内に結果を評価し、次段階の実証に進むかの判断をする」等の、期限に関する条項を設けるのも有効な手段といえるでしょう。

Case4.〜勝手に特許出願された!〜

事例:画像解析 AI を開発するスタートアップである F社は、大企業と工場内カメラ映像を用いた欠陥検知システムのPoCを実施しました。PoC 契約では「成果物の知財帰属は別途協議するものとする」としか定めず、アルゴリズムの改良コードを共有していました。主要なロジックはF社のエンジニアが実装していたにもかかわらず、PoC 終了直前になって、大企業が改良されたアルゴリズムを大企業の単独名義で特許出願してしまいました。

問題点

成果物の権利帰属について明確化がなされなければ、権利がどちらに帰属するかが不明確な結果、一方が単独で特許出願してしまい、他方が不利益を被ることがあり得ます。このような事態が生じれば、いわば「抜け駆け」をされた側がライセンス料や事業展開の自由度を失い、貢献度に見合うリターンを得られないリスクがあるほか、両社の信頼関係も大きく揺らぐこととなります。

対処のヒント

NDAを先に締結することは前提とし、その上でPoCの契約書に知的財産権その他の「成果物の取り扱い」をできるだけ明記しましょう。PoCは基本的に、特定の結果を保証するものではありません。

しかし、通常はPoCの成果としてプロトタイプや報告書が出る以上、それに関する知的財産権や利用権の帰属をどうするか(可能であれば知的財産権は自社に帰属し、利用権を連携事業者に与える形で)決めておくと安心です。これが曖昧な場合、後になって大企業側から「それはうちが考案したから…」等と主張されるリスクがあります。

特にAI分野では、学習モデル等が成果になることが想定されますが、完成品の性能保証はしない旨の確認や、出た成果物の権利帰属・利用条件を早めに協議することが重要です。

PoC段階では契約簡素化のためこれらの内容を厳密には定めず、後の共同研究契約で定めることも想定されます。しかし、そのような場合でも、PoC結果を基に共同研究契約で協議することを条項かしておくと安心でしょう。

共同研究契約関連のトラブル例と対処法

Case5.〜名ばかり共同研究〜

事例:スタートアップであるG社はPoCから共同研究に進む際、大企業から提示された契約書ひな型をそのまま受け入れてしまいました。しかし中身を見ると、PoCや共同研究の成果物に関する権利が全て相手企業に帰属すると一方的に定められていました。また、H社は大企業との共同研究中に、実質H社が単独で技術開発したにもかかわらず、取引実績が欲しいという弱みにつけ込まれて「特許を無償提供せよ」と迫られ、成果特許の譲渡を断ることができませんでした。

問題点

共同研究は本来、双方がWin-Winで成果を享受することが理想ですが、契約次第ではスタートアップだけがリターンを得られない不均衡が生じます。特に知的財産権の扱いは、スタートアップにとっては死活問題となり得ます。自社のコア技術に関連する特許を全部相手に渡してしまうようなことになれば、スタートアップは他分野展開やスケールアップの自由を奪われかねません。

一方の大企業側も、安易に全部取りをすることにより、スタートアップの技術を不注意に使って訴訟リスクを負ったり、協業相手からの信頼を失うリスクがあります。

対処のヒント

これは必ずしも大企業との契約に限られませんが、契約の前提として、「お互いの貢献と利益をバランシングする」という視点が不可欠です。共同研究契約を締結する際は、まず役割分担と貢献の範囲を相手方としっかりすり合わせましょう。

誰が何を担当するか明確にしておかないと、「実は大事な部分を誰もやっておらず成果が出ない」、「貢献度の認識が食い違う」といった紛争の火種ともなり得ます。

役割分担と貢献の範囲を完全に決めることが難しくても、できる限り詳細に条項化し、契約書へ落とし込んでおくべきです。

Case6.〜共有形態のせいで身動きが取れない!〜

事例:スタートアップであるI社は、大企業と共同研究契約を締結しました。その際、契約では「研究成果に関する特許は両社の共有帰属」と定められましたが、販売先制限や独占期間は未設定でした。その後、I社は別の大企業からライセンス提案を受けましたが、大企業は「自社の製品と競合するおそれがある」としてライセンスの承諾を渋り続け、交渉は暗礁に乗り上げてしまいました。同時に、契約時にお互いが持ち寄る技術の範囲を整理していなかったため、I社側が単独で改良した部分まで大企業から「共有成果」と主張されてしまいました。

問題点

研究成果に関する特許を連携事業者の共有帰属とすることにより、合意コストが増大することが予想されます。また、特許を何に使うにも両社間での合意が必要となることから、スタートアップの迅速な事業展開が妨げられることともなり得ます。

さらに、契約に具体的な用途・期間を定めていない場合、相手方が漠然と「競合になるおそれ」等を主張して承諾を拒み続けることにより、スタートアップの強みである事業スピードが失われ、事業が硬直化するリスクがあります。

また、もともとスタートアップ側が保有していた技術まで共有範囲であると混同され、技術境界が不明確になってしまうことも懸念されます。

対処のヒント

知的財産権の帰属と利用権については、知的財産権はスタートアップが持ち続けた上で、共同研究テーマに関する一定の用途・期間に限り大企業がこれを独占的に使えるようにする、という方式が望ましいものといえます。こうすればスタートアップは他分野へ柔軟に展開できますし、大企業も自社の事業領域では優位性を確保できます。

さらにバックグラウンド技術の明確化も重要です。契約時点で双方がもともと持っている技術情報をリスト化し共有することで、後の「技術の混ざり合い(コンタミネーション)」を防ぐことができます。自社の既存技術は特許出願して保護しておく、秘密情報は別途NDAで保護するなどして、境界線を明確化しておきましょう。

そして事業化後の販売先制限などについても、合理的な範囲に留める工夫が必要です。大企業から競合他社への提供を制限したいと言われた場合も、期間や範囲に区切りをつける交渉をしましょう。「○○分野には提供しない」ではなく「〜年間は○○業界の特定他社には提供しない」といった具合に、制限の範囲を必要最小限に絞ることがポイントとなります。

その上で可能であれば、大企業が当該技術一定期間使わなければ独占権を解除することを定める条項等も入れておくと、なお安心です。

ライセンス契約関連のトラブル例と対処法

Case7.〜大企業にフリーライドされた!〜

事例:スタートアップであるJ社は、自社の技術を大企業にライセンス提供して製品化してもらおうとしました。ところが契約交渉で相手から「ライセンス料は無料にしてほしい」と要求され、そのまま無償ライセンス契約を結ばされてしまいました。

問題点

特許やソフトウェアにかかる著作権等の知的財産権の提供には本来対価が伴うものです。それを正当な理由なく無償提供させられれば、スタートアップは開発コストを回収できず、大企業だけがフリーライドする形になります。ライセンス料はスタートアップの貴重な収入源である以上、これをゼロにされる事態は絶対に避けなければなりません。

対処のヒント

繰り返しになりますが、知的財産権の提供には本来対価が伴うものであり、ライセンス料はスタートアップの貴重な収入源です。したがって、仮に無償ライセンスを持ちかけられる事態が生じた場合には、勇気を持って「無料ではできません」とはっきり伝えましょう。ビジネスモデル上必要な知財なら、正当なライセンス料をもらって当然である以上、弱気になる必要はありません。

契約交渉はギブアンドテイクの側面がありますので、ライセンスの許諾範囲(用途・地域・期間)と料金体系をセットで検討しましょう。例えば「国内の一定用途に限定して、独占的に使わせる代わりに一時金を貰う」「非独占契約なら年間固定額〜円+売上にかかる歩合として〜%」等の条件を、ケースに応じて提案しましょう。

スタートアップ連携指針においても、ライセンス契約においては特許の重要性や市場規模、製品価格・寿命、特許の付加価値貢献度などを総合的に考慮して料率を決めるべきとされています。

スタートアップにとっては資金繰りが常に課題となる傾向が強いですので、一時金(イニシャルフィー)重視で確実にキャッシュを得るか、ランニングロイヤルティ重視でハイリスクハイリターンを狙うか、戦略的な判断も必要です。

特に大企業との交渉では、彼らにとってのメリット(独占期間内に投資回収できる等)も数字で示すことが重要でしょう。

Case8.〜せっかくの自社技術、特許出願できない?〜

事例:スタートアップであるK社は、大企業から受託したシステム開発の中で独自に編み出したノウハウについて、「一切の特許を取ってはいけない」という条項を契約に入れられてしまいました。また、共同研究外で開発した新技術についても「勝手に特許出願せず、共同出願含め権利帰属は協議する」と定められ、単独特許を禁じられる状況となってしまいました。

問題点

自社開発の技術を特許出願できないということは、技術を守る手段を奪われるのと同義です。大企業が「うちの関連領域で勝手に特許を取られると困る」と考えたのかもしれませんが、スタートアップにとってはまさに死活問題です。これではスタートアップ側は自社技術を正当に保護できず、市場での競争力を失いかねません。

対処のヒント

共同研究のテーマを必要十分な範囲で厳密に定義しましょう。テーマが広すぎると、ほとんど関係ない独自開発まで「共同研究の成果」と解釈されかねません。逆に狭すぎると、本当は共同開発の成果なのに「枠外だから」と勝手に特許を取られてしまうリスクがあります。適切な範囲でテーマ設定をしておけば、「それはテーマ外なので当社が自由に特許出願します」と言いやすくなります。どうしても相手が特許保証(第三者の権利を侵害していないということの保証)や出願制限を求める場合は、「現時点で知る限り他人特許は侵害していない」程度の表明に留める、あるいは特許調査は相手も協力する義務を負わせるなどして、リスクを分担させましょう。とにかく、自社の発明したものまで出願禁止にされないよう交渉することが肝要です。必要ならば専門家を交えて説得し、「どこまでが共同研究の範囲か」「テーマ外技術は自由に出願可能」といった確認を取り付けましょう。

出資契約関連のトラブル例と対処法

Case9.〜あのときNDAを結んでおけば…〜

事例:スタートアップL社は資金調達のため投資家と面談しましたが、先方はNDA締結を渋り、にもかかわらずビジネスモデルの詳細や営業上の秘密を説明するよう強く求めてきました。将来の出資を期待してL社は重要情報を説明しましたが、結局その投資は実現せず、情報だけが相手に渡る結果となってしまいました。

問題点

投資家側(出資者)は立場上優位なことが多く、スタートアップは「出資してもらえなくなるかも」と心配して要求を受け入れてしまいがちです。しかしNDAなしで機密を明かせば、出資もされず情報だけ奪われるリスクがあります。実際、公取委の調査でも「ピッチイベントで興味を持たれ個別商談した際、NDAなしで重要情報を開示させられた」という例が報告されています。

スタートアップが切羽詰まっている状況(資金が底を突きそう等)だと特に断りにくく、要求を受け入れてしまいがちですが、結果として資金繰りが悪化することもあり得ます。

対処のヒント

たとえ相手が投資家でも、遠慮せずNDAを提案してください。まともなVCCVCであれば、スタートアップの技術やアイデアを尊重し、NDA締結に応じるはずですし、むしろNDAを嫌がる投資家には注意が必要です。

どうしてもNDAが難しければ、機密情報の開示は段階的に行いましょう。初回は事業概要だけ伝え、核心部分は出資意向が高まってからにする、といったように、情報の核心部分を可能な限り守って交渉することが重要です。

また、漏洩時に備え、自社の営業秘密は不正競争防止法で守られるよう社内管理を徹底しておくことも重要です(不正競争防止法2条6項)。顧客リストや財務データなどはアクセス制限や暗号化をする、機密性の高い情報には「秘密」と明示するなど、法律上の営業秘密要件(①非公知、②有用性、③管理性)を満たす管理をしておきましょう。

Case10.〜怖くて断れない?株式買取請求権〜

事例:スタートアップであるM社は事業目標を順調に達成していたにもかかわらず、M社の社長は出資者から突然「ある知的財産を無償で譲渡せよ。拒めば契約違反として株式買取請求権を行使する」と示唆されました。M社の社長が出資契約書を確認すると、出資者は事業目標の既達、未達にかかわらず一方的に買取請求権を行使できるうえ、社長個人に対する買取請求権まで行使できる条項になっていることがわかりました。実質的に連帯保証人のような責任を負わされてしまったM社の社長は、泣く泣く出資者にIPを渡してしまいました。

問題点

株式の買取請求権自体は、投資契約違反時の救済策として入れられることがあります。しかし、それを濫用してスタートアップを脅迫し、出資者が思うままに振る舞うことは許されません。

特に創業者個人への買取請求は、万一の場合に個人資産を差し出すリスクがあり、起業インセンティブを著しく損なうとして、スタートアップ連携指針でも、「契約違反時の買取請求権は発行会社のみに限定し、経営株主等の個人を除いていくのが望ましい」と指摘されています。

対処のヒント

まず、投資契約に買取請求権を入れる場合でも、その行使条件を厳格に限定しましょう。行使条件は、重大な財務不正や反社会的勢力とのつながりの判明など、本当に株主関係を解消すべき重大事由が生じた場合に限定するべきです。

軽微な計画未達などで簡単に買取請求権が行使されないよう交渉することはもちろん、行使をチラつかせて不当要求をするのはNGであることを双方が認識しておく必要があります。

もし安易に「応じなければ買取だ」と言われたら、それ自体が指針違反の不当行為である旨を伝え、まず契約条項を確認しましょう。その上で、然るべき対応(専門家や、場合によっては公取委への相談など)を検討してください。

 

スタートアップ目線での交渉ポイントと指針の活用法

契約内容やリスクを正確に理解した上での建設的な交渉

大企業や投資家を相手にした交渉で重要なのは、契約条件が自社事業に与えるリスクを冷静に把握し、必要な調整を提案することです。

交渉の場で「この条件は当社にとって過大なリスクとなるため調整をお願いしたい」と根拠を持って丁寧に伝えるだけで、一方的な取り決めを回避できることがあります。問題はバーゲニングパワーの差そのものではなく、契約書の内容やリスクを十分に認識しないまま署名してしまう点にあります。

相手と対等に、建設的な提案をする姿勢が、長期的な信頼関係の構築につながります。

契約交渉に先立つコアポイントの整理

自社にとって絶対譲れない点(例えばコア技術の権利、最低限の報酬など)を明確にし、それ以外は柔軟に交渉する姿勢を持ちましょう。スタートアップ連携指針でも、「互いに譲れない条件を先に提示し、折り合えない場合は協議を終えることも重要」とされています。限られた交渉リソースを効果的に使うため、事前準備と優先事項の明確化が重要です。

指針の利用

スタートアップ連携指針は公的なガイドラインですので、交渉の場で「公取委の指針でも、こうしたケースは不公正とされています」と言及するのも有効です。例えば、明らかに自社が不利となる条項を修正してほしい時に「公正なオープンイノベーションの観点から、この制限は緩和いただけないでしょうか。指針にもあります通り…」と切り出せば、相手も無視しづらいでしょう。客観的な根拠として指針を活用し、自社の要望に根拠づけをしましょう。

スピードとリスク管理の両立

スタートアップにとってスピードは生命線です。とはいえ、契約リスクを見落とせば、後に訴訟や事業停止リスクが顕在化するおそれがあります。

契約書レビューを標準化し、専門家によるチェックやモデル契約書の活用で、スピードと安全性を両立する仕組みを整えましょう。短期的な成長だけでなく、中長期的な事業継続性を守る観点から、最低限のリスクヘッジは欠かせません。

 

おわりに

調査報告書は「営業秘密を盗まれ競合製品を出された」「不利な契約条件を一方的に飲まされた」等、生々しいスタートアップの悲鳴を拾い上げています。

これに対してスタートアップ連携指針は、それらを基に改善の方向性を示してくれています。指針策定から数年、徐々に大企業側でもコンプライアンス意識が高まり、契約条件の見直しが進みつつあります。

スタートアップ連携指針には、他にも下請法や独禁法の相談窓口の紹介や、契約交渉に役立つモデル契約書の情報なども掲載されています。困ったときには、これらの支援策も活用しましょう。

最近では、データや知財を巡るトラブルに関する相談も増加しており、AI開発に用いた学習データの利用制限を受けた事例や、成果物の独占的利用権を求められる事例等も話題に上がっています。これらについても動向を注視することが重要です。

とはいえ、本稿に述べたことはあくまで一般論に過ぎず、紹介した事例も典型例に過ぎません。問題はスタートアップの事業や規模、相手方の規模等によって千差万別です。

また、本稿に述べたものにもいわば「予防策」に過ぎないものも多くあり、実際に問題が生じており、問題への具体的な対処法でお悩みの方もいらっしゃると思われます。

本稿で取り上げた独禁法は、特にグレーゾーンも多く、一般的には「取っ付きにくい」法律であると言われます。各種指針や本稿を参照するのみでは判断に迷うことがあれば、スタートアップの事業速度に並走でき、独禁法に明るい専門家への相談をおすすめします。

以 上

 

(参考資料)

「スタートアップとの事業連携及びスタートアップへの出資に関する指針」(https://www.jftc.go.jp/dk/guideline/unyoukijun/startup/start-up.pdf

「スタートアップをめぐる取引に関する調査結果について」(https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2022/dec/221223_startupchousashiryou/221223_startupchousakekka.pdf

「製造業者のノウハウ・知的財産権を対象とした優越的地位の濫用行為等に関する実態調査報告書」(https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2019/jun/190614_files/houkokusyo.pdf

「知的財産取引適正化ワーキンググループ 議事概要」(https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2025/aug/250801_chizaiwg.pdf

[1] スタートアップと連携事業者が、事業連携に当たって、相互に秘密情報を交換する場合があるが、その際、秘密情報が当事者以外に流出しないように、また、契約で定められた一定の目的以外に情報が流出しないように締結する契約のこと。

[2] 事業連携によって想定した機能・性能や顧客価値の実現を検証し、共同研究開発に進むことができるかを判断するためのステップのこと。内容の一部として、検証のために、最低限かつ部分的な試作品やプロトタイプを製作すること等が含まれる。

[3] 事業会社が自己資金でファンドを組成し、主に未上場の新興企業(ベンチャー企業)に出資や支援を行う活動組織のこと。自社の事業内容と関連性のある企業に投資し、本業との相乗効果を得ることを目的として運営される。英語ではCorporate Venture Capitalと表記され、CVCと略して用いられることが多い。

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執筆者
  • 小原 光平
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