【I&S インサイト】日本における賃金カルテルの可能性
〜米国ガイドラインから得られる示唆〜

執筆者:小川正太

 

 

米国司法省(DOJ:Department of Justice)は、2021年4月19日、テキサス州東部地区連邦裁判所の大陪審が医療関係者に対する賃金レートを引き下げるために賃金カルテルを行ったこと、および連邦取引委員会(FTC:Federal Trade Commission)の調査を妨害したことを理由として、テキサス州の男性2人に対して正式起訴状(Indictment)を発付したとするプレスリリースを公表しました1。同事件は、DOJおよびFTCが2016年に賃金カルテル等に関する米国独禁法のガイドライン2を公表して以来、初めての事案であるため、非常に注目を集める事件となっています。

 

これに前後して、ブラジルにおいてもブラジル経済擁護行政委員会(CADE:Conselho Administrativo de Defesa Economica)が、2021年3月17日、医療関係者の雇用条件に関する情報交換を行ったことがブラジル競争保護法(Lei de Defesa da Concorrencia)に違反するおそれがあるとして調査を開始しました。

 

本稿では、各国の競争当局が賃金カルテルその他の労働条件に関する独禁法または競争法に違反する行為の摘発に着手し始めたことを鑑みて、日本においても同様に賃金カルテル等が独禁法違反(不当な取引制限)を構成し得るか、米国のガイドラインを参考に検討してみたいと考えております。

 

賃金カルテルとは何か

 

まずは、議論の対象となる「賃金カルテル(wage-fixing agreement)」とは何か、ピン留めしていきたいと思います。

 

米国のガイドライン上は「agreement with individual(s) at another company about employee salary or other terms of compensation, either at a specific level or within a range」と定義されていますが、「(雇用主による)賃金その他の雇用条件を一定水準または範囲にする合意」と訳すことになると思います。

 

かかる合意の当事者は「雇用主」ですが、雇用主は「従業員(供給者)から労働役務の提供を受ける需要者」と整理できます。下図は、公正取引委員会の競争政策研究センターが2018年2月15日付で公表した「人材と競争政策に関する検討会報告書」3から抜粋した図になりますが、これは厳密には雇用契約ではなく、業務委託元・業務委託先(フリーランス)の間における業務委託契約を念頭に置いたものになります。ただ、下記3.1.2および3.3にて雇用契約にある当事者に対して独禁法を適用できるか否かは別途議論しますが、「労務提供契約における供給者と需要者」としての関係性は異ならないと考えることもできますので、これに基づき、以下、詳述します。

 

雇用関係に関しては、下図におけるが雇用主、が従業員にそれぞれ該当し、の間における契約が雇用契約に該当することとなります。かかる整理を前提とすれば、賃金カルテルは、「労務提供の対価を一定水準以下または範囲内にとどめようとする需要者(労労務提供の買い手)によるカルテル」と言い換えることができ、買い手カルテルの一種と考えることができます。

 

出典:公正取引委員会競争政策研究センター「人材と競争政策に関する検討会報告書」(平成30年2月15日)12頁

 

また、雇用主が他の雇用主との間で、が雇用する従業員を引き抜かないことを約束する行為、すなわち「従業員の引き抜きを防止する合意(いわゆるno poaching agreement)」は、従業員の取引先の切替えの機会を奪う行為として捉えることでき、買い手による取引先制限カルテル(市場分割カルテル/供給元の分割カルテル)の一種と考えることができます。

 

以上のとおり、賃金カルテルその他の労働条件に関するカルテルは、基本的に買い手である雇用主によるカルテルに分類されます。これは、雇用主と労働者の間において情報の非対称性が認められ、かつ、前者の方が多量の雇用契約に関する情報を取得していること、それゆえに雇用主と労働者の間において交渉力に格差があることから、雇用者側において市場支配力を形成しやすい環境があることが一要因といえます。

 

かかる環境が生じやすいことは我が国においても同様であり、かつ、行為要件に関しても、我が国においても基本的に違和感がないように思われます。しかし、下記02.および03.において言及するとおり、弊害要件(競争の実質的制限の有無)に関して米国における議論をそのまま日本に流用できるか疑問が残ります。以下、この点を詳述することで、日米の独禁法における考え方の違いを浮き彫りにできればと思います。

 

米国におけるガイドライン

 

上記のとおり、米国では、DOJおよびFTCが連名で、2016年10月付で「Antitrust Guidance For Human Resource Professionals」と題するガイドラインを公表しました4。同ガイドラインが公表される以前においても、DOJまたはFTCが調査の上で同意判決(consent judgment)を行った事例は存在していたものの、これらの事例における判断も含めて、賃金カルテルその他の労働関係にある当事者間への独禁法の適用の考え方を整理したものになります。

 

ガイドラインでは、以下の4類型の行為が米国独禁法に違反する可能性があると示されています。

 

既にご案内の方もいらっしゃるかもしれませんが、米国独禁法上、一部の行為類型は市場における競争の制限効果・阻害効果が生じているか否かを検討するまでもなく、当然に違法(per se illegal)となるものがあります。いわゆるハードコア・カルテルがこれに該当しますが、賃金カルテルおよび引き抜き防止カルテルは当然違法の類型になるとDOJおよびFTCはガイドライン内で明言しています5

 

これに対して、合意に至らない雇用条件に関するセンシティブ情報の交換は、いわゆる合理の原則(rule of reason)に基づき違法となるか否かを判断する行為類型として考えられています6。具体的には、かかる情報交換によってもたらされる競争促進効果(competitive effect)と競争制限効果(anticompetitive effect)の比較衡量等を行うことになります。このように、合理の原則を用いて違法性を検討する行為類型においては、具体的な市場に対する競争の制限効果・阻害効果等を検討することになります。

 

以上のとおり、米国においては「当然違法(per se illegal)」または「合理の原則(rule of reason)」のいずれで判断される行為類型か分類する点で特徴的です。この点が日本の独禁法と最も異なる点となりますが、日本の独禁法の考え方は下記03.において説明します。

 

日本法における考え方

 

3.1 問題の所在

 

3.1.1 米国法との考え方の違い

 

日本の独禁法においては、「不当な取引制限」(同第2条第6項)がカルテルに該当すると考えられており、これは「事業者が、契約、協定その他何らの名義をもつてするかを問わず、他の事業者と共同して対価を決定し、維持し、若しくは引き上げ、または数量、技術、製品、設備若しくは取引の相手方を制限する等相互にその事業活動を拘束し、または遂行することにより、公共の利益に反して、一定の取引分野における競争を実質的に制限すること」と定義されています。

 

この点、上記02.でも触れたとおり、DOJおよびFTCは、賃金カルテルおよび引き抜き防止カルテルに関しては「per se illegal」として判断すべきハードコアカルテルと整理されており、この類型に関しては、規制当局であるDOJおよびFTCは市場における競争制限効果・阻害効果を主張・立証する必要がないもの考えられています。

 

これに対して、日本の独禁法においては、仮に公正取引委員会が賃金カルテルおよび引き抜き防止カルテルと呼ばれる行為類型が「不当な取引制限」を構成するとして立件するにあたっては、一定の取引分野における競争の実質的制限が生じたことを主張・立証する必要があります。これは私人間における民事訴訟においても同様であり、原告において、被告の行った賃金カルテル等によって一定の取引分野における競争の実質的制限が生じたことを主張・立証する必要があります。かかる背景から生じ得る派生論点については、下記3.2で詳述します。

 

3.1.2 労働法と独禁法の交錯

 

既に上記01.において言及したとおり、公正取引委員会は、2018年2月15日付で「人材と競争政策に関する検討会報告書」と題する報告書を公表しており、同報告書8頁にもあるとおり、我が国においては「人が自分の勤労を提供することは、事業ではない」との解釈を前提として、労働者の労働は独禁法第2条第1項にいう「事業」には含まれないとの解釈がなされてきました。これは、労働者の保護には、独禁法ではなく、憲法の規定に基づく労働組合法、労働基準法を始めとする労働法制による規律が適用されるべき、との価値判断に基づくものになります。このような日本の労働法が規律すべき局面、独禁法・競争法が規律すべき局面という棲み分けの問題があり得ることが日本におけるもう1つの特徴といえます。詳細は、下記3.3で触れます。

 

3.2 賃金カルテルによる「一定の取引分野における競争の実質的制限」

 

公正取引委員会は、現在に至るまで、雇用関係にある従業員の賃金カルテル等については、これに対する独禁法の適用について消極的な態度を示しており、基本的に労働法の適用による解決を図るべきとのスタンスをとっています。しかし、上記02.において言及したとおり、公正取引委員会が労働法によって規律されるべき法域と判断するか否かを除いて、雇用関係とフリーランスとの間における業務委託(請負)関係の間において大きな差異はないとするのが本稿の仮定になりますので、この観点から日本独自の問題点に触れてみたいと思います。

 

最も重要な論点は、賃金カルテル等における「一定の取引分野における競争の実質的制限」をどのように認定するか、とくに「一定の取引分野」すなわち関連市場(relevant market)をどのように画定するか、という点になります。この点、カルテルにおいては少なくとも当事者が合意した範囲において競争制限効果が生じることは明らかであるため、その範囲において市場を画定すればよいとの見解も有力ではありますが、ここではあえて当事者の合意からはニュートラルな検討を加えたく思います。

 

この点、公正取引委員会の「人材と競争政策に関する検討会報告書」では、雇用関係(雇用契約)にない個人事業主(フリーランス)との関係における独禁法上の分析に関して、一定の取引分野は「人材獲得市場」であると定義しています。ただ、雇用主がその商品または役務の提供を行うにあたって必要な労務の種類は異なってくるため、もう少々細分化すべきものと考えます。たとえば、医療法人においても、勤務医師、看護師、薬剤師、事務局等の様々な労務を提供する従業員(あるいは業務委託先である個人事業主)が存在するのであって、それぞれが別の労務(患者に対する医療行為の提供と医療法人内部の事務作業は全く別の労務といえるでしょう。)を提供することは難しいなどの事情があることを踏まえると、「医療法人に勤める従業員」の「獲得市場」であっても、なお広範にすぎると考えられます。

 

かかる実例を踏まえると、賃金カルテルまたは引き抜き防止カルテル等における「一定の取引分野」の競争の実質的制限を検討するにあたっても、単なる「人材獲得市場」という大きな枠組みではなく、いわば企業結合規制における需要の代替性および供給の代替性の観点から精緻な分析を行った上で画定された関連市場をもって、検討対象とすべきものと考えられます。たとえば、労務提供の種類、当該労務提供を行うにあたって必要となる資格の有無等の各種の事情を考慮して人材獲得市場を細分化すべきと考えられます。

 

この市場画定を適切に行った上で、具体的な競争分析(競争の実質的制限の有無の分析・検討)を行うべきものと考えますが、この点については、公正取引委員会の「人材と競争政策に関する検討会報告書」において示された考え方が参考になると考えます。すなわち、同委員会は、雇用関係(雇用契約)にない個人事業主(フリーランス)との関係においては、むしろ独禁法を適用して、その保護を図りたいというスタンスを明確にしているところ、同報告書15〜22頁において主として不当な取引制限等の共同行為の基本的な考え方を述べています。本稿では詳細は割愛しますが、ぜひご一読ください。

 

3.3 労働法と独禁法の交錯 - 賃金カルテルは労働法の問題?

 

一部の論者も説明するとおり7、公正取引委員会の基本的なスタンスは、「労働法制により規律されている分野については、原則として、独占禁止法上の問題とはならないと解することが適当である」というものになっています。さらに、内閣官房、同委員会、中小企業庁および厚生労働省が連名で策定した「フリーランスとして安心して働ける環境を整備するためのガイドライン」8においては、「フリーランスとして業務を行っていても、実質的に発注事業者の指揮命令を受けて仕事に従事していると判断される場合など、現行法上「雇用」に該当する場合には、労働関係法令が適用される。この場合において、独占禁止法や下請法上問題となり得る事業者の行為が、労働関係法令で禁止または義務とされ、あるいは適法なものとして認められている3行為類型に該当する場合には、当該労働関係法令が適用され、当該行為については、独占禁止法や下請法上問題としない」としている。

 

引用:フリーランスとして安心して働ける環境を整備するためのガイドライン2頁

 

これらの説明等を総合すると、①従業員の権利・義務関係については労働法によって規律すべきであって、②フリーランス等の個人事業主の権利・義務関係については競争法によって規律しつつも、実質的に「雇用関係」に該当する事情がある場合には、労働法によって規律すべきである、との考え方が基本になっているように読めます。かかる考え方からは賃金カルテル、引き抜き防止カルテルはいずれも労働法によって規律されるべき法域のものであって、独禁法を適用すべきではないとの考え方を採ることが自然にも思われます。

 

しかし、私見では、フリーランスまたは雇用関係にかかわらず、賃金カルテルまたは引き抜き防止カルテルは成立し得るものと考えております。この点、確かに労働基準法をはじめとする労働法規によって労働者の権利が保障されていることは疑いなく、これを下回るような労働条件等は労働法によって規律されるべきと考えます。一方で、雇用主が、労働法に定めるいわば「最低水準」は確保しているものの、賃金水準その他の労働条件が従業員にとって有利になり過ぎないよう、他の雇用主との間で調整する可能性は十分に想起できるように思われます。かかる事例においては、なお、賃金カルテルまたは引き抜き防止カルテルを検討する実益はあるように思われます。

 

ただ、理論上は上記のとおり整理できるとはいえ、これまで公正取引委員会による執行事例がないことや一連の報告書およびガイドラインの内容をみる限り、近時において賃金カルテル等に対する執行が行われる可能性は高くないように思われます。

 

まとめ

 

以上、日本において賃金カルテルが成立し得るか、米国独禁法との比較および近時話題となっている労働法と独禁法の交錯といった観点から説明させていただきました。

 

これまでの国内の議論を踏まえる限り、今後数年内において、公正取引委員会によって従業員の賃金カルテルまたは引き抜き防止が立件される可能性は高くはないと思われますが、フリーランスに対する搾取的行為に関する規制が精緻化することに伴い、風向きが変わる可能性はあるかと考えています。

 

少なくとも、昨日、今日で速やかに何か対策を講じる必要はありませんが、今後の動向には注目いただいてもよいかと考えております。

 

ご精読いただきありがとうございました。

 


 

  1. https://www.justice.gov/opa/pr/second-individual-charged-fixing-wages-health-care-workers-and-obstructing-ftc-investigationご参照。
  2. https://www.ftc.gov/system/files/documents/public_statements/992623/ftc-doj_hr_guidance_final_10-20-16.pdfご参照。

  3. https://www.jftc.go.jp/cprc/conference/index_files/180215jinzai01.pdfご参照。

  4. https://www.ftc.gov/news-events/press-releases/2016/10/ftc-doj-release-guidance-human-resource-professionals-howご参照。

  5. この点、米国においては買手事業者による共同行為に関しては、近時の下級審裁判例において、「当然違法(per se illegal)」ではなく「合理の原則(rule of reason)」で判断した事例が増えているとの指摘もある。たとえば、渕川和彦「米国反トラスト法における買手事業者間の共同行為規制-買手独占理論を素材として-」(https://www.jftc.go.jp/cprc/discussionpapers/h23/cpdp_55_j_abstract_files/CPDP-55-J.pdf)等をご参照。

  6. 雇用条件に関するセンシティブ情報であっても、相対的に古い情報であったり、中立的な第三者が情報交換そのものを管理したりするなどの事情がある場合には、その情報交換は適法になり得るとも考えられています。M&A取引における労務デューディリジェンス(Due Diligence)等はこの観点から正当化されるとも考えられます。

  7. 長澤哲也・牟礼大介「フリーランスに対する搾取的行為をめぐる労働法制と競争法制」NBL1194号40頁ほかご参照。

  8. https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2021/mar/210326.htmlご参照。

詳細情報

執筆者
  • 小川 正太
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